1.ザータルとは?
ザータルはパレスチナを含む地中海沿岸に自生するハーブで、パレスチナでは「緑の金」という呼称があるほど大切にされています。
アラビア語でいう”زعتر”(ザータル)とは、実は一つの決まった植物ではありません。
異なる植生をもつ広い地域において、 タイムやオレガノを含む20種類以上にも及ぶシソ科のハーブがこう呼ばれています。
― レバノンの医学・芳香植物の専門家 Jihad Noun氏の言葉
そして、一般家庭で常食されている、これらのハーブをベースにしたブレンドもまた、ザータルと呼ばれています。
2.十人十色のザータルスパイス

ザータルスパイスは、ザータル(ハーブ)・胡麻・スマック(ウルシ)がブレンドされていることが一般的ですが、地域や店、各家庭により配分も異なるうえ、他のハーブやスパイスが含まれることもあります。
パレスチナのザータルスパイスは、スマックの割合が多く酸味が感じられるのが特徴であるとされており、まれにキャラウェイシードが含まれるブレンドなども存在します。
ザータルスパイスの楽しみ方はさまざま。ちぎった平たいパンにオリーブオイルとザータルをつけて食べるというベーシックな食べ方から、オリーブオイルとザータルをまぜて生地に塗ってから焼くパンがあったり(マナキーシュ)、たまご料理やサラダのトッピング、魚や肉の下味に使われることもあります。
3.ザータルを用いた民間療法

「ザータルを食べると頭がよくなるからと、親や祖父母からしきりに食べるように勧められた」
「試験前にはザータルを食べさせられた」
という幼少期の思い出を語られるパレスチナの方は少なくありません。
これは迷信だと考えられてしまいがちですが、2011年には、ザータルの葉には実際に学習や精神状態に良い影響を与える物質が含まれていることが科学的に証明されました。
呼吸器系の病気の治療や鎮痛剤としても優れた効果を発揮することが知られています。
他にも免疫力や骨、消化器系を強化するなど様々な効能に富み、オリーブオイルと並んでパレスチナ・中東の人々の健康を支えてきた植物でもあります。
4.ザータルを摘む伝統
パレスチナの人々は、ザータルは手をかけて栽培するものではなく、山や小高い丘に自生しているものだという認識を遠い昔から持ち続けてきました。
毎年暖かくなると山に入って自分達に必要な量のザータルを自然の中からいただくという行為は、日本における山菜採りとも重なる春の風物詩であり、たしかに土地に根付いた伝統的な暮らしの一部なのです。
5.ザータル採取の禁止

1977年、イスラエル当局により環境保全のためという理由で保護植物のリストが作られ、この中にザータルが掲載されました。
このため、長らくパレスチナの人々によって行われてきた野生のザータル採取が突然禁止され、違反者には罰金が科されはじめました。
それでも、主要な調味料であるザータルスパイスを作るためのザータル採取は生活に欠かせないことであったため、多くのパレスチナ人が今まで通りに自分達の土地でザータルを摘み、その結果イスラエル当局による取り締まりに遭いました。

Elias Kena’ani氏(パレスチナ)
「毎年独立記念日に、母と、母の故郷の村の山にザータルを摘みに行きます。
今年も同じように、自分達のためのわずかな量のザータルを摘んでいると警備員がやって来て、
私がやっていることが違法だと言って車に連行し、
もう一人の男によって既に何やら記された書類にサインをして罰金660シェケルを支払うように告げました。
86歳の母は、何が起こっているか理解すると激怒し、
「なぜ自分達の先祖の守ってきた土地でザータルを摘むために660シェケルも支払わないといけないのか。罰金を支払う必要があるなら、その金額に相当する量のザータル摘んで帰ります。」と言うと、「そんなことをすると警察を呼ぶ」と言われました。」
野生のザータル採取に対する取り締まりが相次いだため、日々の食卓からザータルが消えてしまうのを恐れたパレスチナの人々によって各地でザータル栽培が試みられ、徐々に成功例が増えました。
それでも元来の「山からザータルを摘む」という伝統の重要性は変わりません。
6.”環境保全”と”伝統文化”
2022年には、ザータルを含む野草採取の禁止は「入植者植民地主義」であるという実態を取り上げた、ジュマーナ・マンナーア監督による映画「Foragers~採集する人々」が発表されました。
実際にイスラエルによる法廷審問にかけられた被告人に付き添い・書記もつとめたパレスチナの人権弁護士法学者Rabea Eghbariah氏は、ザータル採取の取り締まりについて、以下のように述べています。
野生のザータルと栽培品種の違いは、単に風味などの好みの問題ではありません。
採取の禁止によって、ザータルを手に入れるには栽培・販売という商業的なプロセスを経ねばならなくなり、パレスチナの人々と土地との間のひとつの繋がりが壊されました。
ザータルとその収穫は、パレスチナ人のアイデンティティを形作る重要な要素であり、
このザータル採取についての禁止と不公平な現状を、文化的な文脈を置去りにして考えるべきではありません。
シオニズム運動は、自然、植物、土地すべてに対する支配を獲得しようとするものです。
砂漠を開花させるというシオニストの思想は、
”自分達は自然環境を開発せず傷つけただけの無知な原住民とは異なり、土地から最良のものを引き出すのだ”という差別的な意図に強く根差しています。
このようなアプローチは植民地主義の典型です。
長くその地に暮らしてきた人々と自然が織り成す伝統文化は、大切に守られ受け継がれるべきものです。
自然環境は、もちろん守られるべきです。
しかし、その土地と繫がりを持ってきたわけではない人々が、自分達の一方的な観点から作成したルールに基づいた環境保全が、果たして真の意味で公正な行為であると言えるでしょうか。
ましてや、それが環境保全の名を借りた、”入植者植民地主義”を意図して整備された法律であるならば、これは直ちに再考されるべきでしょう。

