はじめに
「どうしてパレスチナの人たちは、命の危険があるのに逃げないの?」
「死ぬことが怖くないのだろうか?」
パレスチナ、特にガザ地区の報道に触れたとき、多くの人が抱く素朴な疑問ではないでしょうか。
この問いに対する答えは、ひとつではありません。物理的に「逃げられない」という現実があり、その上で「逃げない」という意志があり、さらにその奥には、イスラームの信仰に根ざした独自の死生観が息づいています。この記事では、この三つの層を順に見ていくことで、パレスチナの人々の選択をより深く理解するための手がかりを提供できればと思います。
第1章 そもそも「逃げられない」——封鎖という現実
まず知っておかなければならないのは、パレスチナの人々の多くが「逃げたくても逃げられない」状況に置かれているという事実です。
ガザ地区は、東京23区の約6割ほどの面積に約200万人以上が暮らす、世界でも最も人口密度の高い地域のひとつです。2007年以降、イスラエルによる陸・海・空の封鎖が続いており、住民が自由に出入りすることは極めて困難です。
2023年10月以降、この封鎖はさらに強化されました。国連人道問題調整事務所(OCHA)の報告によれば、人道支援物資の搬入すら大幅に制限され、2025年3月には物資の搬入が完全に遮断される事態に至りました。食料、医薬品、燃料が入らない中で、住民の約9割が人道支援に頼る状況が続いています。
では、具体的に「ガザから出る」にはどうすればいいのか。ガザには国際空港がなく、海も封鎖されています。陸路の出口は、エジプト側のラファ検問所と、イスラエル側のいくつかの検問所のみです。イスラエル側はガザ住民の通過を原則認めていません。
唯一の実質的な出口だったラファ検問所も、2024年5月にイスラエル軍がガザ側を占拠して閉鎖。2025年初頭の停戦中に医療避難のため一時開放されたものの、すぐに再閉鎖されました。2026年2月にようやく限定的に再開されましたが、1日あたり医療避難者50人程度とその同伴者に限られ、イスラエルとエジプト双方の審査を通過しなければなりません。WHO(世界保健機関)の報告では、医療避難を必要とする人だけで16,500人以上が待機しています。
一般市民が出るには、外国のパスポートを持っているか、重篤な傷病者であることがほぼ前提です。2024年の報道によれば、仲介業者に一人あたり数千ドルを支払って非公式の「調整リスト」に名前を載せてもらうルートもありましたが、家族全員となると数万ドルにのぼるケースもあったといいます。
受け入れ側にも壁があります。エジプトは「ラファは双方向でなければ開けない」という立場をとっており、イスラエルが「出国のみ」で開こうとした際には拒否しました。その背景には、パレスチナ人の追い出しに加担することへの国際的な批判を避けたいという面がありますが、それだけではありません。エジプトはシナイ半島北部で長年にわたり武装勢力との戦闘を続けてきた経緯があり、ガザからの大量流入がシナイの治安を不安定化させることや、1979年のキャンプ・デービッド合意に基づくイスラエルとの安全保障体制を揺るがすことへの警戒があります。加えて、自国が経済危機のさなかにあり、大量の難民を受け入れる余裕がないという事情も指摘されています。
ヨルダン川西岸地区でも、数百カ所に及ぶ検問所や分離壁がパレスチナ人の移動を厳しく制限しています。通勤・通学はもちろん、病院への搬送さえ妨げられることが日常的に起きています。
つまり、「なぜ逃げないのか」という問いの前に、「そもそも逃げる先がない」「出ることを許されていない」という現実があるのです。
第2章 それでも「逃げない」——スムード(صمود)という生き方
しかし、仮に国境が開いたとしても、多くのパレスチナ人は「ここに留まる」ことを選ぶでしょう。その精神を表すアラビア語が「スムード(صمود)」です。
スムードとは「不動」「忍耐」「踏みとどまること」を意味する言葉で、パレスチナの人々にとっては単なる語彙ではなく、生き方そのものです。1948年のナクバ(大災厄)で70万人以上が故郷を追われた経験は、パレスチナの人々に「二度と土地を離れてはならない」という深い教訓を刻みました。
スムードには二つの側面があります。ひとつは「静的なスムード」——ただ、そこに居続けること。もうひとつは「抵抗のスムード」——占領下でも学校を開き、畑を耕し、家を建て直すこと。壊されたら、また建てる。焼かれたオリーブの木の隣に、新しい苗を植える。日常を営むこと自体が、追い出そうとする力への抵抗になるのです。
パレスチナの人々のあいだでよく聞かれる言葉に
「アル=ハヤート・ラーズィム・ティスタミッル(الحياة لازم تستمر)」——「人生は続かなければならない」
というフレーズがあります。これは希望的な観測ではなく、存在そのものが抵抗であるという宣言です。
スムードの象徴として知られるのがオリーブの樹です。何百年もの時を経て大地に深く根を張るオリーブは、パレスチナの人々が自分たちの土地との結びつきを語るときに、繰り返し用いられるイメージです。
第3章 信仰という土台——イスラームの死生観から見る
ここまで見てきた「逃げられない現実」と「留まる意志」、その両方を内側から支えているのが、イスラームの信仰です。パレスチナの人口の大多数はムスリム(イスラーム教徒)であり、彼らの日々の選択は信仰と切り離して理解することができません。
「現世」と「来世」——二つの世界
イスラームでは、この世(ドゥンヤー=الدنيا)と来世(アーヒラ=الآخرة)は連続した存在の二つの段階だと考えます。
「ドゥンヤー」という言葉自体が「より近い」「より卑小な」という意味を持っています。つまり、この世は来世に比べれば「手前にある、小さなもの」であり、人生の本番はむしろ死後に始まるという世界観です。
クルアーン(コーラン)には「現世の生活は、来世にくらべればわずかな楽しみにすぎない」(第9章38節、意味の要約)という趣旨の言葉があり、ムスリムにとって現世は「仮の宿」であり、来世こそが「定めの住まい」です。
ただし、ここで重要なのは、これは現世を軽視せよという教えではないということです。むしろ、この世での行いがすべて来世に反映されるからこそ、今をどう生きるかが決定的に重要になる——そういう考え方です。
試練(イブティラー)と忍耐(サブル)
イスラームには、この世の苦しみを「試練(イブティラー=ابتلاء)」として受け止める考え方があります。
クルアーンの章句の中に
「われらは必ずあなたがたを、恐怖、飢餓、財産・生命・収穫の減少によって試す。忍耐する者たちに吉報を伝えよ」(第2章155節、意味の要約)
という趣旨の言葉があります。
つまり、苦難は罰ではなく、信仰の深さを問う「試験」であり、それに耐え忍ぶこと——すなわち「サブル(صبر、忍耐)」——こそが、信仰者として最も尊い態度のひとつとされるのです。預言者ムハンマドの言葉として「最も厳しい試練を受けるのは預言者たち、次いで信仰の篤い者たちだ」と伝えられており、苦しみの大きさはむしろ信仰の証しと捉えられることもあります。
「死を恐れない」ということの本当の意味
ここまで読んで、こう思う方がいるかもしれません——「それは命を軽く見ているということでは?」
答えは「いいえ」です。
イスラームにおいて、命は神から預かったもの(アマーナ=信託)であり、自ら命を絶つことは固く禁じられています。命を大切にすることは信仰の基本です。
パレスチナの人々が見せているのは、命を粗末にしているのではなく、死を含む人生全体を、現世だけで完結しないより大きな物語の中に位置づけている、ということです。苦しみには意味がある。理不尽な死にも、神の前での正義がある。だからこそ、恐怖の中にあっても崩れずにいられる——そういう精神的な基盤が、信仰の中にあるのです。
パレスチナのクリスチャンたち——もうひとつの信仰の声
ここまでイスラームの視点を中心にお話ししてきましたが、パレスチナにはキリスト教徒のコミュニティも存在し、彼らもまた信仰に基づいてこの地に留まり続けています。その数は少数派ですが、彼らの神学的な営みは見過ごすことができません。
パレスチナのクリスチャンたちは、1980年代のインティファーダ(民衆蜂起)の時代から、「パレスチナ解放の神学」と呼ばれる独自の神学を発展させてきました。その中心人物のひとりが、エルサレムの聖公会司祭であるナイーム・アテーク師です。アテーク師は1948年に故郷ベイサーンを追われた経験を持ち、1991年にエルサレムに「サビール・エキュメニカル解放神学センター」を設立しました。「サビール(سبيل)」はアラビア語で「道」あるいは「泉」を意味します。
この神学の核心は、ローマ帝国の占領下で苦しみ、十字架にかけられたイエスの姿と、今のパレスチナの人々の苦しみを重ねて読むことにあります。抑圧のただ中で「神に忠実であるとはどういうことか」を問い、非暴力の抵抗と正義を信仰の実践として位置づけるのです。
2009年にはベツレヘムで「カイロス・パレスチナ文書」——「真実の瞬間:パレスチナの苦しみの只中からの、信仰と希望と愛の言葉」と題された声明が発表されました。この文書で、パレスチナのクリスチャンたちは、占領を「神と人間に対する罪」と宣言し、それを正当化するいかなる神学もキリスト教の教えに反すると明言しました。そして2025年11月には、第二の文書「ジェノサイドの時代における信仰」が発表され、現在の状況に対する新たな神学的応答が示されています。
ムスリムの忍耐(サブル)とクリスチャンの希望(ホープ)は、表現こそ異なりますが、どちらも「苦しみの中に意味を見いだし、正義を信じて留まり続ける」という点で深く通じ合っています。パレスチナでは、ムスリムもクリスチャンも、信仰の違いを超えて同じ土地に根を張り、同じ苦難を生きているのです。
第4章 暮らしの中の信仰——「日常」こそが抵抗
信仰は、教義として頭の中にあるだけのものではありません。パレスチナ、特にガザの日常の中で、信仰は驚くほど具体的な形をとっています。
礼拝——モスクが破壊されても、がれきの上に絨毯を敷き、空の下で礼拝の列をつくる。2026年のラマダーン期間中にも、ミナレット(尖塔)が崩れ落ちたモスクの跡地で、人々が整然と並んで夕方の礼拝を行う姿が報じられました。
ラマダーン(断食月)——2024年・2025年のラマダーンは爆撃の最中に訪れました。食料も水も不足する中で、それでも人々は断食を守り、わずかな食材でイフタール(日没後の食事)を囲みました。ある報道では、以前ならごちそうが並んだ食卓が、パンと少しの野菜だけになっても、家族で手を合わせて食前の祈りを捧げる姿が伝えられています。
子どもの名前——パレスチナでは、困難な時期に生まれた子どもに希望や信仰にまつわる名前をつける伝統があります。名前を選ぶという行為自体が、未来への信頼の表明です。
ラマダーンの飾りつけ——2026年のラマダーンでは、テントや壊れた壁に紙くずや金属片で手作りのランタンを飾る子どもたちの姿が各地で見られました。「ラマダーン・ムバーラク(恵みあるラマダーンを)」と書かれた横断幕が、爆撃の痕が残る路地の上に掲げられる。それは飾りである以上に、「私たちはまだここにいる」という宣言です。
これらの行為のひとつひとつは、小さく見えるかもしれません。しかし、占領と封鎖が生活のあらゆる側面を支配しようとする中で、祈ること、断食すること、子に名前をつけること、飾りをつくることは、すべて信仰を通じたスムードの実践なのです。
おわりに——この問いを持ち続けるために
「なぜ逃げないのか」「死が怖くないのか」という問いは、パレスチナの人々を理解しようとする入り口として、とても大切なものです。その問いを抱くこと自体が、遠い場所の人々の生に対する想像力の表れだと思います。
この記事でお伝えしたかったのは、答えがひとつではないということです。
逃げられない物理的な壁がある。逃げないという民族的な意志がある。そしてその根底に、苦しみにも死にも意味を見いだす信仰がある——イスラームの忍耐であれ、キリスト教の解放の神学であれ。この三つの層は分かちがたく重なり合い、パレスチナの人々の「ここに在り続ける」という選択を支えています。
パレスチナの人々は、命を軽んじているのではありません。むしろ、命と土地と信仰を深く結びつけているからこそ、あの場所に留まっているのです。
参考情報
・ 国連人道問題調整事務所(OCHA)ガザ地区の境界検問データ
・ カイロス・パレスチナ文書(2009年)/第二文書(2025年)
・ クルアーン(コーラン)各章句は意味の要約として記載しています

