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抵抗と連帯のしるし、伝統の織布クーフィーヤ

目次

1.クーフィーヤとは?

白地に黒の幾何学模様。遠くからでもはっきりと目を引くこの布は、「クーフィーヤ(كوفية)」と呼ばれる中東の伝統的なスカーフです。
イスラエルによる土地の占領と長く向き合ってきた歴史のなかで、パレスチナにおいては特に象徴的な意味をもつようになり、いまでは世界中でパレスチナの民族の誇り・パレスチナへの連帯の象徴として認識されています。

しかし、その由来や意味は、単なるファッションや政治的な記号にはとどまりません。クーフィーヤには、パレスチナの土地との深い結びつきが織り込まれているのです。
世界中でパレスチナ問題についての世論が高まり、クーフィーヤを目にする機会が増えているからこそ、今一度その歴史や込められてきた意味の部分に立ち返ってみましょう。

2.農民がまとう、暮らしの布

1900年、オリーブ山からエルサレムの街をのぞむ牧歌的な風景

クーフィーヤの起源は古代にさかのぼります。気候の厳しいアラビア半島やシリア・パレスチナ地方では、頭部や顔を太陽や砂塵から守るために、こうしたスカーフ状の布が古くから日常的に使われていました。アラビア語では「ギトラ(غترة)」や「シマグ(شماغ)」などとも呼ばれ、色や織り方などの地域的な違いもあります。

都市の中産階級や知識人のあいだでモロッコの都市フェズに由来するフェズ帽が広まっていったのに対し、農村部の労働階級の間では様々なかたちで頭に巻くことができるクーフィーヤがその実用性ゆえよく身に付けられ、人々の装いとして定着してきました。

クーフィーヤを纏い畑に立つ農民、オリーブを摘む女性たち、羊を追う遊牧民たち――これらは、パレスチナや周辺地域の自然の風景の中での、土地と密接に関係する日常の一部であり続けてきました。

3.民族意識とともに強まった象徴性

クーフィーヤ姿で知られるパレスチナ解放機構(PLO)元議長ヤーセル・アラファト氏(1929-2004)

この日用品が民族的な象徴としての意味を帯び始めたのは、20世紀に入ってからと比較的最近のことです。

ひとつのきっかけは、当時すでに20年近く続いていたイギリスの植民地支配とユダヤ人の大量移住に対して異議を唱えるためにパレスチナのアラブ人たちが起こした、1936〜1939年のパレスチナ大反乱でした。
初めはクーフィーヤをまとった農村部の若者たちが抗議活動の中心であったため、イギリス当局は街中で反乱者を見分けるためにクーフィーヤを規制しようとしましたが、抵抗運動の広がりとともに本来は農民や労働者の装いであったクーフィーヤを都市部の人々までもが巻くようになり、イギリス植民地当局の弾圧に対抗する連帯の意志を示したのです。

やがて1948年のナクバ(大災厄)――イスラエル建国により数十万人のパレスチナ人が故郷を追われた出来事――以降、クーフィーヤは失われた土地への記憶と帰還への願いを象徴する存在になります。1960年代以降には、パレスチナ解放機構(PLO)の台頭とともに、リーダーであるヤーセル・アラファート氏が黒と白のクーフィーヤを頭に巻き、国際舞台に登場しました。

彼の姿が、クーフィーヤ=パレスチナの象徴というイメージを世界中に定着させることになったのです。

4.幾何学模様の奥にあるもの

クーフィーヤの幾何学模様

パレスチナでは、特に黒と白の格子模様のクーフィーヤが広く普及してきました。

黒い糸で描かれる特徴的な幾何学模様は、パレスチナの解放運動が本格化する中で「単なる装飾ではなく、土地に由来する意味が込められているのだ」として様々に再解釈がなされてきました。

広く知られているのは、網のような模様=漁師の網を表すという説です。これは、ガザ地区を中心に古くから行われてきた漁業を想起させます。
斜めに交差する線はオリーブの葉や木の根を表しているとも言われ、これはパレスチナ人の生活に欠かせないオリーブ栽培を通して土地との強いつながりを象徴します。
さらに、太いボーダー線の部分は、パレスチナ中を通り中東やヨーロッパと繋がる歴史上の交易ルートを意味すると解釈されています。
(※以上で紹介しているのは、動画を含めあくまで現在パレスチナとクーフィーヤの関係性を語る上で主流とされている一つの説です。オリーブの部分が魚や波を表し、ボーダー線が川を表すというような別の説も存在します。)

日常的に身に付けられてきたという特性に加え、これらの模様さえも、土地に根差したパレスチナの人々の暮らしに深く結びつけられているのです。
だからこそ、イスラエル当局により生活そのものが脅かされている今の状況下において、クーフィーヤはパレスチナの人々と土地との間に育まれてきた絆を裏付ける重要な存在とされており、人々のアイデンティティの拠り所のひとつとなっているのです。

What Does the Palestinian Keffiyeh Symbolize? – Hirbawi Kufiya

5.パレスチナ唯一のクーフィーヤ工場

かつてはパレスチナ各地にクーフィーヤを織る小さな工房が存在しましたが、1990年代に入り、安価な中国製や中東諸国製の「ファッション・クーフィーヤ」が大量に市場に出回るようになります。その結果、地元の織物産業は深刻な打撃を受け、ほとんどが姿を消してしまいました。

現在、パレスチナではヘブロンにある「ヒルバウィ(حرباوي)織物工場」が唯一残っているクーフィーヤ工場として稼働しています。
1961年に創業したこの工場で使われている機織機は、創業者であるヤッセル・ヒルバウィ氏が日本を訪れて鈴木製機(Suzuki Loom Works)と協働して特別に注文した、日本製の機織り機です。

ヒルバウィ織物工場では、部品交換など維持管理をしながら現在もなおこの織機を使い続けており、職人が手作業で細かい調整を加えながらできあがったクーフィーヤを日々世界中へ送り出しています。

HIRBAWI® The Original Palestinian Kufiya – HIRBAWI® Official

ヒルバウィ織物工場製のクーフィーヤは、在庫は希少ではあるものの上記公式Webサイトのオンラインショップから購入することが可能です。

6.身にまとう連帯のかたち

世界中でパレスチナに連帯する人々がクーフィーヤを巻くようになった背景には、たしかにグローバルな連帯運動やアート、社会運動の広がりがあります。
一方で、広く知られたがために文化的な意味を置き去りにして「流行」や「エスニック・ファッション」として消費されてしまう懸念もうまれています。
たとえ抵抗や連帯の象徴としてクーフィーヤを手に取る場合であっても、単なる視覚的記号として身に付けるのではなく、パレスチナの歴史や文化に耳を傾ける姿勢を伴ってこそ、更に深い意味がうまれるものです。

織り込まれた模様の意味、パレスチナの人々がクーフィーヤに託してきた想い――それらを意識して知ることは、国際社会において長きにわたりかき消されてきたパレスチナの人々の声にきちんと耳を傾けることそのものなのです。

単なる織布としてうまれ、パレスチナの抵抗と連帯の象徴になったクーフィーヤ。
それがどんなものであるのかを理解して身につけることは、たとえ遠く離れた日本からであっても、世界中の人々とともに心からのパレスチナへの連帯の意志を示す一つの形となることでしょう。

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この記事を書いた人

出雲國の辺境の地から、現代社会の歪みとパレスチナへの皺寄せを憂い、何かできることはないかと模索しています。料理や語学などの文化的観点からのアプローチが主になりそうです。イスラーム圏のお料理を提供するカフェ・アッサラーム(売上の一部をパレスチナ支援へ)を不定期開催中。

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