1.オリーブ栽培発祥の地としてのパレスチナ

地中海沿岸地域で広く愛される植物であるオリーブは、パレスチナを含む中東地域でも、日々の食卓をはじめ、人々の暮らしに長らく寄り添ってきました。
今や世界中に広がっている食用オリーブの栽培ですが、その起源は今から5000~6000年前にさかのぼり、東地中海地域、北はトルコのアダナとシリア北西部・シリア沿岸山脈の間の地域から、南はパレスチナのナブルス山脈地域で始まったと言われています。
オリーブは古来から、パレスチナの土地、そしてそこに暮らす人々と深い関係にあったのです。
パレスチナには、世界最古のひとつといわれる樹齢5000年のオリーブの樹が現存しており、この樹からだけで一年に500kgものオリーブの実が収穫されるとのことです。
世界的に知られるこのオリーブの樹は、パレスチナにおける長いオリーブ栽培の歴史を物語る存在です。
2.「アルベキナ」はパレスチナ発祥の品種

オリーブには様々な品種がありますが、世界中で栽培され流通量も多い「アルベキナ」という品種があります。
独特の風味と香りから「オリーブの女王」とも称されるこのオリーブは、スペインのアルベカ村に由来して「アルベキナ」と名付けられ、スペインの品種として広く認知されていますが、元々は、アルベカの宮殿に住んでいたメディナセリ公爵が17世紀にパレスチナから持ち込んだと言われています。
17世紀には、アルベクア(現在のアルベカ)を含むイベリア半島の広大な地域を所有していたメディナセリ公爵がエルサレムを訪れました。
そこで彼は、今までにない素晴らしいオリーブオイルの味に出会い魅了されました。
彼はこれらのオリーブの種をスペインに持ち帰り、オリーブオイルを作るためにそれらを植えるようにと農民に命じました。
当時のスペインでは、既にオリーブオイルは身近に消費されているものでした。
にもかかわらず、エルサレム(パレスチナ)のアルベキナ種は公爵を魅了するほどの風味だった…という逸話からは、パレスチナの土地のオリーブ栽培の適性、そしてオリーブとの歴史的な繫がりの強さを感じます。
3.パレスチナの暮らしとオリーブ
長い歴史を誇り、他国の民をも魅了してきたパレスチナのオリーブ。
もちろん、現地の人々の日常には様々な場面で、オリーブが登場します。
①食物としてのオリーブ

パレスチナの人々をして「パンとオリーブオイルさえあれば何も要らない」と言わしめるほど、日々の糧として大切にされているオリーブオイルは、パレスチナの食卓に欠かせない基本の調味料です。
朝食では、平たく焼いたパン、オリーブオイルと、ザータル(タイム)を中心に白ごまやスマックなどを混ぜ合わせたザータルスパイスを一緒に食べることが一般的です。
昼食や夕食にも、サラダやスープ、メイン料理を問わず、必ずと言っていいほどオリーブオイルを多用するのがパレスチナの料理です。オイルだけでなく、オリーブの実そのものの塩漬けも前菜や付け合わせとして食卓にのぼります。
②薬としてのオリーブオイル

オリーブオイルは、種ではなく果実をしぼるという単純な方法で作ることができる唯一の油であり、様々な体調不良に対して、身体を自然な=健康な状態に戻してくれる特別な油だとして重宝されています。
- 経口摂取で、コレステロールや血圧、血糖値が低ければ上げてくれる・高ければ下げてくれる
- 耳が痛む場合、温めたオリーブオイルを少し耳に入れて痛みを鎮める
- 咳が出るときは、あたたかい手で気管支をなぞるように胸のうえからオリーブオイルを肌に塗り込む
- 関節の痛みには、該当部分にオリーブオイルを塗り込む
などをはじめ、様々な身体の不調を整える民間薬としても、オリーブオイルは欠かせない存在なのです。
③オリーブオイル石鹸

もうひとつ重要なオリーブの用途は、オリーブオイル石鹸です。パレスチナ・ナブルスの町の石鹸メーカーは、1,000年以上にわたって変わらない方法で、オリーブオイルを主原材料とする天然石鹸を製造してきました。
手や顔、髮、身体だけでなく、オリーブオイル石鹸ひとつだけで衣類や食器などあらゆるものを洗うことができます。化学物質を一切含まず、人体にも自然環境にもやさしい石鹸です。
オリーブオイル由来のビタミンが豊富で抗菌性もあるため、皮膚を健康で清潔に保つことができます。
4.経済的な命綱としてのオリーブ
イスラエルの占領により様々に不当な制約を課されている現在のパレスチナでは、お金や物の行き来も簡単なことではありません。
様々な機械や物を用いずともオリーブ畑さえあれば生産ができ、品質の高さから世界に需要があるオリーブ製品は、そのような状況下にあるパレスチナの人々にとって非常に重要な収入源です。
- 約80,000~100,000世帯のパレスチナ人家族がオリーブの収穫に収入を頼っている。
この中には働く女性の15%以上が含まれている。 - オリーブ産業には、1億6000万ドルから1億9100万ドルの価値がある。
- 2019年には、約177,000トンのオリーブが圧搾され、39,600トン(約30,000リットル)のオリーブオイルが生産された。
これらはカタールのテレビ局・アルジャジーラのインフォグラフィックスに基づく数字ですが、これらの情報だけでも、オリーブの恵みから得られる収入がいかにパレスチナの人々の生活の支えになっているかが見て取れます。
5.象徴になったオリーブ
ここまで見てきた通り、パレスチナにおいて、オリーブは現地の人々の暮らしと密接に関係してきた高い歴史・文化的価値を持つ存在であるとともに、イスラエルの不法占領による不自由な状態にあって、生活のための大切な収入源として人々を支えています。
パレスチナにおいて、使用されていない土地にはイスラエル当局に接収される恐れが常につきまとうため、パレスチナの人々は今でも空き地を開墾しては年間約一万本にも及ぶオリーブの木々を植えており、オリーブの樹は文字通り自分達の国土を守ってくれるものでもあるのです。

イスラエルの抑圧に対する抵抗の必要性が増すにつれて、オリーブはパレスチナの人々にとって、ただ食べ物や恵みを供給してくれる身近な樹木であるだけでなく、抵抗運動の象徴として、さらに特別な存在となりました。
その結果、パレスチナ人の、そしてパレスチナの現状を憂い、解放を願う世界の芸術家たちが、今日に至るまで、オリーブとパレスチナを題材にした作品を次々と生み出してきました。
マフムード・ダルヴィッシュ(1941-2008) ーパレスチナを代表する国民的詩人
「オリーブの木が彼らを植えた手を知っていたなら、彼らの油は涙になるでしょう。」(1964年、ʿan alsũmūd(回復力について))
「今日、私はオリーブの枝と自由の戦士の銃を持って来た。オリーブの枝が私の手から落ちないように。」
(1974年、パレスチナ解放機構(PLO)の指導者ヤセル・アラファトの国連総会演説に含まれる一節)
スリマン・マンスール(1947-) 現代パレスチナアートの第一人者
この他にも、文学や絵画にとどまらず、音楽や映像など多様な分野で、オリーブとパレスチナを題材とした作品が世界中でつくり出されています。
6.パレスチナのオリーブが面している危機
パレスチナの人々にとって、オリーブの木々は土地と人々の古くからの強い結びつきを明らかに示す、揺るぎない証拠です。
しかし、パレスチナの土地を占領し、更なる侵略をねらうイスラエルにとっては、この上ない脅威です。
そのため、イスラエル軍や入植者は、パレスチナの人々を傷付けたり街を破壊するだけでなく、パレスチナの人々が「命よりも大切だ」というオリーブ畑を燃やしたり、オリーブの樹を伐ったり根こそぎにするという行為にも及んでいます。
2012年にエルサレム応用研究所(ARIJ)が発表した研究によると、1967年以降、イスラエル当局はヨルダン川西岸地区のパレスチナ人のオリーブの木80万本を根こそぎにしたと推定されています。2020年の一年間では、ヨルダン川西岸地区で9,300本以上の樹木が損傷を受けました(赤十字国際委員会(ICRC))。
また、イスラエル当局が通行を許可せず、パレスチナ人農民たちが農地にアクセスできない=オリーブ畑の管理ができないという状態に追い込まれたり、特に収穫期など農作業中にパレスチナ人農民がイスラエル軍や入植者から暴力を受ける事件が数多く報告されています。
2005年には、西岸地域のサレム村にてイスラエル軍に根こそぎにされたオリーブの樹を抱きしめるパレスチナ人農民の写真が話題になりました。

マーフォダ・シュタイヤさん(2005年)
私は倒された樹を抱きしめました。それは私にとって大切だったからです。まるで我が子を抱き締めているように感じました。私は、その樹を我が子のように愛情をこめて育てていたんです。
この事件の15年後、彼女は再びメディアのインタビューに答えました。
マーフォダ・シュタイヤさん(2020年)
イスラエル軍によって荒らされてしまったオリーブ畑を自分達で整備し直しました。
結果、前よりも良い状態に育ってくれているくらいです。入植者たちは決して私の土地を取り上げることはできません。
なぜなら、ここは私達の土地で、彼らのものでは無いからです。
(取り上げようとされるなら、)世界が終わる日まで抵抗しますよ。
根こそぎにされても、植え直されて更に繁栄しているオリーブの木々。
そして、悲劇にめげずに前を向いて、堂々と正当性を語る彼女の姿勢は、パレスチナの現状と、来るべき未来に重なるようにも感じられます。

