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「ハマースの暴力は許すの?」と聞かれたら ― 抵抗・組織・民衆を分けて考える

パレスチナへの支援活動をしていると、こんな問いを投げかけられることがあります。

「でも、ハマースも悪いことしてるじゃん」

「武器で戦う、人を殺す。それは許されるの?」

こう聞かれたとき、うまく言葉が出てこない。共感してくれている人に対してさえ、どう説明すればいいかわからない
——そんな経験をしたことのある方は少なくないでしょう。

この記事では、こうした問いに向き合うための考え方の枠組みを整理します。正解をひとつ示すのではなく、「この問いにはどういう角度からアプローチできるか」を一緒に考えるための記事です。

この記事のポイント

「テロ」には国際法上の統一的な定義がない。
このラベルを一方にだけ貼ることで、分析の代わりにしてはならない

国際法には「戦争を始める正当性(jus ad bellum)」と「戦い方の適法性(jus in bello)」という二つの独立した枠組みがある。
この二つを分けて考えることが重要

jus ad bellumの観点では、占領下の人民には抵抗権がある。
イスラエルには違法な占領を維持するための武力行使の正当性がない

jus in belloの観点では、双方に違反がある。
しかし規模・継続性において、イスラエルの違反は桁違いに深刻

ハマースをパレスチナ人と「混同」してもいけないが、パレスチナ社会から「切り離し」てもいけない

「どっちもどっち」は中立ではない。
圧倒的な非対称性を覆い隠し、より強い側を免責する

まず「テロ」という言葉を考える

定義のない言葉

「ハマースはテロ組織だから」

——この一言で議論が終わってしまうことがあります。しかし実は、「テロリズム」には国際法上の統一的な定義が存在しません。国連は1972年からこの問題に取り組んでいますが、半世紀以上が経った現在も、すべての加盟国が合意する定義は成立していません。国連人権高等弁務官事務所も、曖昧で広範な「テロ」の定義が各国の国内法で人権侵害の道具として使われている問題を指摘しています。

なぜ合意できないのか。それは、「テロ」という概念が純粋な法的用語ではなく、政治的なラベルとして機能しているからです。ある国にとっての「テロリスト」が、別の文脈では「自由の戦士」と呼ばれることは、歴史上何度も繰り返されてきました。南アフリカでアパルトヘイトと戦ったネルソン・マンデラは、アメリカのテロリストリストに2008年まで載っていました。イスラエル建国に関わったイルグン(後のリクード党の前身的組織)は、パレスチナでイギリスの軍人や警察官を攻撃し、キング・デイヴィッド・ホテル爆破事件のような大規模な攻撃を行いましたが、イスラエルでは建国の英雄とされています。

ドライな定義に照らせば

もし「テロ」を、「政治的目的のために民間人に対して行われる暴力」という最も基本的な定義で考えるなら、どうなるでしょうか。

2023年10月7日のハマースの攻撃には、民間人を標的にした行為が含まれていました。これは、この定義に照らせばテロに該当すると言わなければなりません。

しかし同時に、同じ定義をイスラエルの行為に適用すれば、どうなるでしょうか。国連の独立人権専門家たちが繰り返し指摘しているように、イスラエル軍はガザにおいて民間人への殺害、拷問、性暴力、強制移住、飢餓の武器化を組織的に行ってきました。ヒューマン・ライツ・ウォッチとオックスファムの調査も、無差別攻撃、民間インフラの意図的な破壊、集団懲罰、文民への飢餓の武器としての使用を文書化しています。これらもまた、政治的目的のために民間人に対して行われている暴力です。

つまり、「テロ」というラベルを使うのであれば、一方だけに貼ることはできません。そしてここが重要な点ですが、「テロ」というラベルを貼ること自体では、何も分析したことにはなりません。

たとえ話で考えてみましょう。泥棒に入られた家の人が、泥棒を殴り返したとします。そのとき、両方の行為を「暴力」と呼ぶことはできます。しかし、泥棒と家の人を同列に論じて「どちらも暴力を振るった」と言うことは、公平でしょうか。「暴力」というラベルは同じでも、状況はまったく対称ではありません。「テロ」というラベルにも、同じことが言えます。

問いを深めるためには、国際法というもう少し精密な道具が必要です。

国際法はどう言っているか ― 二つの「正義」を分けて考える

国際法には、武力紛争を評価するための二つの独立した枠組みがあります。赤十字国際委員会(ICRC)が説明しているように、この二つを区別することは国際人道法の根幹をなす考え方です。

「戦争に訴える権利」(ユス・アド・ベルム / jus ad bellum)

そもそも、武力に訴えることに正当な理由があるのか、という問いです。

日本の刑法に馴染みのある方なら、「正当防衛」を思い浮かべてください。刑法36条は、急迫不正の侵害に対してやむを得ず行った反撃は、たとえ暴力であっても違法性が阻却される(罰されない)と定めています。殴ること自体は暴力だけれども、不正な侵害に対する防衛であれば、法はそれを認める。国際法における被占領民の抵抗権は、この「正当防衛」に近い考え方です。

パレスチナ側について: 国連総会は複数の決議で、パレスチナ人の武装抵抗の正当性を明確に認めています。1974年の決議3236は、パレスチナ人の自決権、独立と主権への権利を再確認し、「国連憲章の目的と原則に従い、あらゆる手段によって権利を回復する権利」を認めました。1982年の決議37/43はさらに踏み込み、「武装闘争を含むあらゆる手段による」独立と解放のための闘争の正当性を明確に再確認しました。この決議はパレスチナ人の権利を名指しで確認しています。
また、ジュネーヴ諸条約第一追加議定書(1977年)第1条4項は、植民地支配や外国の占領に対して戦っている人民の紛争を、国際的武力紛争として明確に分類しています。

イスラエル側について: 2024年7月19日、国際司法裁判所(ICJ)は歴史的な勧告的意見を出しました。その核心は、イスラエルの占領地における存在そのものが違法であるという判断です。ICJは、イスラエルに対して可能な限り速やかに違法な存在を終結させ、すべての入植活動を即座に停止し、入植者を撤退させ、損害賠償を行うことを求めました。

違法な占領を維持するための武力行使は、そもそも正当化の根拠を持ちません。つまり、jus ad bellumの観点から言えば、占領下の人民には抵抗する権利があるのに対し、違法な占領を維持するために武力を行使する側にはその正当性がないのです。

「戦争における行為の正義」(ユス・イン・ベロ / jus in bello)

次に、武力行使のやり方が国際人道法に従っているかという問いです。ここで重要なのは、ICRCが強調しているように、この二つの枠組みは独立しているということです。戦争を始める正当な理由があっても、戦い方が正当でなければ違法です。逆もまた然りです。

正当防衛のたとえを続けましょう。たとえ正当防衛が認められる場面でも、相手を刃物で刺してよいわけではありません。「なぜ反撃したか」と「どう反撃したか」は、別の問いです。日本の刑法でも、防衛の程度を超えた行為は「過剰防衛」として違法になります。国際法における均衡性の原則もこれと同じ発想です。

双方に問題があります。 ハマースの10月7日の攻撃における民間人への暴力は、jus in belloに違反します。民間人を標的にすることは、たとえ抵抗権を持つ側であっても、いかなる場合も正当化されません。国際人道法の区別原則(文民と戦闘員を区別する義務)は絶対的なものです。

しかし、イスラエルの行為もまた、jus in belloに重大に違反しています。ここで決定的に重要なのが均衡性(proportionality)の原則です。庭に石を投げてきた相手に対して、家ごと爆破して応じることは、たとえ相手が先に攻撃してきたとしても、正当防衛とは言えません。これが均衡性の感覚です。

Lawfareに掲載された法学者の分析は、イスラエルの軍事作戦がjus ad bellumにおける均衡性の要件に違反していると結論づけています。ガザの建造物の78%近くが破壊され、病院の94%が被害を受け、人口の大部分が強制移住させられている状況は、いかなる軍事目的によっても正当化し得ない過剰な破壊です。イスラエルの法学者たち自身も、複数の公開書簡でイスラエル軍の行為が均衡性原則に違反している疑いがあると指摘し、「軍事的脅威の減少に比べて、民間人に与えた人道的被害は不均衡であり、戦争の継続は違法となりうる」と警告しています。

二つを合わせると何が見えるか

jus ad bellumとjus in belloを合わせて見ると、次のような全体像が浮かびます。

戦争を始める正当性(jus ad bellum): パレスチナ側には占領への抵抗権がある。イスラエル側には違法な占領を維持するための武力行使の正当性がない。

戦い方の適法性(jus in bello): 双方に国際人道法違反がある。しかし、規模・継続性・組織性において、イスラエルの違反は桁違いに深刻である。

この二つを総合すれば、「どっちもどっち」という結論にはなりません。客観的に見て、イスラエル側がより重大な法的責任を負っており、より重大な国際法違反を犯しているということは明確に言えます。

ハマースとパレスチナ人の関係を正直に見る

「ハマース=テロ組織」で思考を止めない

ここまで国際法の枠組みで見てきました。次に向き合わなければならないのは、「ハマースも悪いことしてるじゃん」という問いの裏にある、もう一つの問題です。それは、ハマースとパレスチナの人びととの関係をどう理解するかという問題です。

ここで二つの誤りを同時に避ける必要があります。

一つ目の誤り:ハマース=パレスチナ人全体、という混同。 ハマースの行為をもってパレスチナ人全体を非難すること、あるいはガザへの攻撃を「ハマースへの攻撃」と言い換えることは許されません。ガザの住民の大多数は非戦闘員であり、ハマースの全行動を承認しているわけではありません。

二つ目の誤り:ハマースをパレスチナ社会から切り離すこと。 「ハマースはパレスチナ人の真の声ではない、だから排除しても問題ないし、むしろそうすべきだ」という論理は、実はイスラエルがガザ攻撃を正当化するためにまさに使っている論理です。

ハマースはどこから来たのか

ハマース(حركة المقاومة الإسلامية、イスラーム抵抗運動)は、1987年の第一次インティファーダ(パレスチナ民衆蜂起)のさなかに、ムスリム同胞団の流れを汲む活動家たちによって設立されました。外部から持ち込まれた組織ではなく、パレスチナ社会の中から、占領に対する怒りと既存の政治勢力への失望を背景に生まれた運動です。

設立以前から、のちにハマースを構成することになるグループは、ガザで慈善団体、診療所、学校のネットワークを運営していました。つまりハマースは軍事組織である前に、パレスチナ社会に根を張った社会運動として出発しています。

2006年のパレスチナ立法評議会選挙では、汚職のないガバナンスと占領への抵抗を掲げて、ファタハに対して勝利しました。この選挙結果は、ハマースがパレスチナ社会の中で一定の支持基盤を持っていることの証左です。

外部が「選別」することの問題

ここで重要なのは、誰がパレスチナ人を代表するかを決めるのは、パレスチナ人自身だという原則です。外部が「良いパレスチナ人」と「悪いパレスチナ人」を選別し、気に入らない政治勢力を排除してから対話する——この構造こそが、植民地主義的な支配のパターンです。

これは、ハマースのすべての行為を肯定するという意味ではありません。ハマースの行った民間人への攻撃は、先に見たように国際人道法違反だと、私は考えます。しかし、ある組織の特定の行為を批判することと、その組織をパレスチナ社会から切り離して排除の対象にすることは、まったく別の話です。

「どっちもどっち」がなぜ問題なのか

非対称性を見る

「暴力はどちらも悪い」という言い方は、一見すると中立的で公平に聞こえます。しかし実際には、占領者と被占領者の間にある圧倒的な力の非対称性を覆い隠してしまいます。

イスラエルは、アメリカから毎年数十億ドルの軍事援助を受ける中東最強の軍事大国であり、核兵器を保有していると広く信じられています。一方、パレスチナ人には国家も正規軍もなく、ガザは2007年以来、陸海空を封鎖されてきました。この非対称性を無視して「両方悪い」と言うことは、事実上、より強い側の行為を免責することになります

「非難」を求められる構造

ガザについて語るとき、「ハマースの暴力を非難しますか?」と問われることがあります。この問いの構造自体に注意が必要です。

被占領者の側だけに「非難」を求め、その条件を満たさなければ対話に値しないとする——これは、占領そのものを問題にしないための装置として機能しています。パレスチナ人は、あらゆる形の抵抗(武力、非暴力、BDS運動、国際法廷への訴え)を試みてきましたが、そのすべてが何らかの理由で否定されてきました。

10月7日の攻撃を「文脈のない暴力」として切り取り、それを非難するかどうかだけを問うことは、75年にわたる占領・封鎖・暴力の蓄積をなかったことにします。ここで大切なのは、文脈を示すことは正当化することではないという区別です。なぜこのような暴力が起きたのかを説明することと、その暴力を肯定することは、まったく異なる知的作業です。

連帯する者として何を伝えられるか

ここまでの議論を踏まえて、実際に「ハマースの暴力は?」と聞かれたとき、どのように答えられるか。いくつかの要点を整理します。

「民間人への暴力は、誰が行おうとも許されない」——これは明確に言えます。 ハマースの攻撃における民間人への暴力は国際人道法違反であり、イスラエルのガザにおける民間人への攻撃も同様です。これは「どっちもどっち」ではなく、国際法という同じ物差しを両方に適用しているだけです。

「しかし、占領への抵抗そのものは国際法で認められた権利です。」 問題は暴力それ自体ではなく、暴力が文民に向けられたことです。そして、占領が終わらない限り、抵抗と暴力の連鎖は止まりません。

「規模と体系性において、イスラエルの国際法違反ははるかに深刻です。」 これは意見ではなく、ICJ、ICC、国連人権理事会、ヒューマン・ライツ・ウォッチなどの国際機関・組織の調査と法的判断に基づく事実認定です。好き嫌いや差別意識の問題では決してありません。

「ハマースを支持するかどうか」という問いの枠組み自体を再設定しましょう。 パレスチナ連帯は、特定の組織への支持ではありません。占領の終結と、パレスチナ人の自決権の実現を求めることです。ハマースの特定の行為を批判しながらも、パレスチナ人の権利を支持することは矛盾しません。

答えに窮するのは自然なことです。 この問題は本質的に複雑であり、ひとことで答えられるものではありません。しかし、黙る必要はありません。「複雑だから黙る」のではなく、「複雑だからこそ、丁寧に話す」という姿勢が、支援者としてできる最も大切なことのひとつです。

参考資料

国連総会決議3236(1974年):パレスチナ人の自決権の確認
国連総会決議37/43(1982年):武装闘争を含む抵抗の正当性の確認
ICJ勧告的意見(2024年7月19日):イスラエルの占領の違法性
ICRC「jus ad bellumとjus in belloとは何か」
パレスチナ人の抵抗権について ― Law for Palestine
テロリズムの国際法上の定義について ― NYU Globalex

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この記事を書いた人

パレスチナ×日本のハーフ。博士(政策・メディア)。専門はパレスチナ地域研究。特に批判理論を通じたナショナリズム研究や、イスラーム政治思想などに関心。